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死に対する恐怖からの解放
小学生の頃から、私は死に対する異常なほどの恐怖に怯えていました。落雷に当たって死んだらどうしようとか、墜落した飛行機が我が家に当たったらどうしようとか、チェルノブイリ原発事故の影響で白血病になったらどうしようとか、ありとあらゆる可能性に怯え不安な毎日でした。...
イエス・キリストの赦し
私が教会に出入りするきっかけとなったのは、主人との出会いです。脇町教会員(徳島)の一青年が主人と知り合い友人となり、トラクトを主人に手紙で送って来て、それを今度は主人が「とても大切なことが書いてあるので丁寧に読んでほしい」と私に渡しました。...
神様がくださった平安と将来と希望
私が生まれた時、家の斜め前の教会の牧師夫人に色々助けて頂いたことをきっかけに、母は私と姉を、教会の日曜学校に小さい頃から連れて行くようになりました。 10歳の時に洗礼を受けましたが、思春期を迎える頃には私は自分のことが大嫌いで、劣等感の塊の様で、皆の前では明るいけど、一人に...
魂の監督者のもとに帰った喜び
救い主イエス様を信じる信仰に導かれるまでの私は、天地の創造主なる神様を無視して自分中心の生き方をしていました。時には自分の人生について考えると自分は何のために生きているのかわからず、心にポッカリ穴が開いたようにどうしようもない、むなしさで心が重くなりました。...
魅力ある聖書の言葉
神様を知らなかった私が、どのようにしてクリスチャンとして歩むようになったのかをお話したいと思います。 子供の頃の私は家族や周りの友人と何となく上手に付き合い、大きな問題も起こさず特に目立つ事もせず、相手に合わせて自分の殻を守るように、本心を他人に見せる事をせずに過ごしてきま...
患難を感謝して
私はクリスチャンホームに生まれ育ちましたが、小学生の頃から将来に希望を持つ事のない心の冷めた人間でした。この思いは小学校二年生のときにキリスト・イエスを信じ、洗礼を受けて自分なりに聖書を読んで色々と考えた結果でした。 そんな私の考え方を変える事件が高校に入って何ヶ月もしない...
イエス様の愛に気づいて
私は幼い頃から神様の存在は信じていましたが、その愛には気づいていませんでした。そしてすべてにおいて自分の栄光を求め、人からの評価を得る為にあらゆることに対して努力し、人に褒められることを最大の喜びとしていました。私が1番になれるのは自分の努力の成果で、他の人が1番になれない...
イエス様によって私は本当に赦された
私は小学生になる前に父と死に分かれ、その数年後に兄と祖父をほぼ同時に亡くし、高校生の時同居していた姉夫婦を亡くしと、次々親しい肉親の死にあいましたので、小さい時からずっと死の恐怖におびえて来ました。そのため、心の中はいつも不安と恐れで一杯で、それを隠そうとして、人前では無理...
あすのための心配は無用です
いま多くのサラリーマン諸氏がどういう思いで過ごしているかは、夜11時頃の東海道線にでも乗ってみればよく分かります。例えば3人の仕事仲間が一杯やったあとで乗り合わせていたとします。彼らはほとんどの場合、仕事、会社、他の仲間、上司への不満を声高に言い合います。また、このうちの一...
ねたみとうらみから解放されて
私は、罪と泥沼の生活にどっぷりとつかっていた者です。なんとかそこから抜け出したいと思っていても、中々抜け出すことが出来ませんでした。罪はたくさんありますが、ねたみとうらみは一番みじめです。 そんな暗い人生に疲れた私に、神様は救いの手をのばして下さいました。私はさそわれるまま...
私の人生で経験したこと
人に相談したり頼ることが苦手な私は、ひとり夢中で働いていました。当時夫は病気がちで、子どもたちはまだ小学生であったと思います。亡くなった母はずっと以前から「教会へ行き、イエス・キリストを信じるように」と言い続けましたが、「宗教など私には必要ない、そんな面倒なことをしなくても...
神は愛です
私は幼い頃から、どうして人は傷つけあうのだろう? 人はなぜ愛し合えないのだろうということを悲しんでいました。家庭内でも、社会においても、世界の国同士でも、争いの多い世の中に、嫌気がさしていました。 でも、高校生の時に、私は人を助けることのできる人になりたいと思い、法律を学ぶ...
聖書のことばは真理である との霊感
最初に私の生い立ちを申し上げます。一九一九年和歌山市で誕生。父は旧制中学校教員。生後七日後母死亡。幼児は祖母、伯母、義母に育てられ、八歳の時父死亡、その後は祖父母に育てられました。祖父母の深い愛情によって楽しい少年期を過ごしましたが、祖父母亡き後は、父母の愛を求める寂しさが...
生かされているよろこび
たくさんの御恵みのうちに生かされている事を感謝します。本当に物事に疎い、覚えることにも遅い、まったく弱い信仰の持ち主です。信仰生活50年と言う私ですが、最初のうちは聖書を読んでも、まったく分かりませんでした。 教会へ出席するのは、賛美歌を聞きたい、いっしょに歌いたい、ただ、...
恵みに生かされて
私が物心ついた時には母親はいなく、母親に甘えるということを知らないで育ちました。子どもの頃は経済的にも貧しかったので、継母に対しては遠慮や我慢を自分に強いてきました。温かい家族を羨む気持ちを子ども心に強く感じながら、心の中の何か満たされない思いを、人前で明るくおもしろく振る...
ポケットの中のパン
「ふるさとは遠きにありて想うもの」とある詩人は書いています。小さい頃の私にとって北海道の小樽は、正に人生と共に灰色の街でした。父の放蕩により家族は、明日の米も無いという辛い日々を何日過ごした事か分かりません。その心労の為、母は毎日寝込みがちでした。学校から帰って来ると、いつ...
悩みから解放されて
私は、東京の杉並で育ちました。貧しいながら、両親からも愛されて、平凡でしたが楽しい生活を過ごしました。今でも、時々その時の事を思い出し、懐かしさに浸っては、赤とんぼの歌を口ずさむ事がよくあります。 主人と一緒になる迄は、キリスト教とは全く縁がありませんでした。死と言うものを...
死(癌)からいのちへ
昨年の夏、市の癌検診に於いて思いもよらない結果が出て、私は癌(ガン)に侵されていた事がわかりました。当時の私は「癌イコール死」だと思っていたので「癌です。」と言われた時、余りにも突然に、私にとって余りにも早い死の宣告を受けた思いでした。丁度、五十八歳の誕生日のことです。しか...
私の生きる目的
「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。」(聖書) 私はこのみことばが大好きです。それは以前、いろいろなストレスで押しつぶされそうになった時に、神様が私にこのみことばを思い出させて下さり、気持ちが楽になったからです。時々、...
生きることの意味を知った
私は15才の時、心の病気にかかってしまいました。昔、一高生が「人生不可解」のことばを遣わして、華厳の滝に投身自殺をしたという、それ程にこの悩みは深刻なもので、毎晩のように裏の畑に行っては、降るような星空を見ながら思いました。「これ程すばらしい天体、そして人間の構造なのに、人...
100万円をあげよう
私は中学生の時に神様を信じました。信じる前にも教会には行っていましたが、遊ぶためでした。私は「自分の存在価値は何なのか? 自分はいてもいなくてもいいのではないか? 生きている意味は何なのか? 目的は? いてもいなくてもいいなら、死んじゃってもいいんじゃないか?」と考えていま...
まことの神に出会って
私は昭和初期の生まれですから徹底した軍国思想の中に育ち、教育を受けました。 物心ついた頃から国内は騒然としており、二・二六事件や、思想犯の弾圧、クリスチャンの迫害と、子供心にもただならぬ雰囲気を感じたものです。女学校(旧制女学校)時代は、英語も廃止、修学旅行も廃止、という...
父の死
私は四国の片田舎で生まれ、封建的で日本伝来の宗教の中で育ちました。それはキリスト教とは何の関係もない環境でした。でも今思うとふしぎなことに、父は旧家の長男でしたが、弟の一家に望まれるままに家督を譲って田舎を去り、一家で町へ引越しました。そこに教会があったのでした。...
本当の夫婦になるための道のり
この春、丁度結婚三十周年を迎えるに当たり、神様に守られてきた事を一つ一つ覚えて感謝です。 私は五人兄弟の長女に育ったためか、我がままで自分の思い通りにしたいという心が人一倍強く、結婚してから主人の母との嫁姑の葛藤に長い間苦しみました。なかなか義母に素直になれない私に、主人は...
異端から救われて
子育ての失敗や、舅(しゅうと)との問題に悩んでいた私は、『人を変えるのは難しい。自分が変わったら問題が解決するのではないか』との思いを持つようになりました。また、以前から、『人生にはどうしてこんなに悩みや悲しみがあるのだろうか』、『この世界はどうして出来たのだろうか』、『人...
天のお父さん
子どもの頃の私は、両親に厳しく育てられました。そのためか、自分の事は棚に上げて、他人が規則を守っていないとか、ごまかしているとかが気になって仕方がない者でした。そういう気の強い私が教会に行くようになったのは、小学生の時に教会学校のチラシをもらったのがきっかけでした。...
空しい思いは喜びに
私は若かった二十代の頃、「人間は何のために生きているのか」、「来る日も来る日も同じことの繰り返しで、人生の目的は何処にあるのか」、と解らないで悩みつつ、毎日を仕方なしに生きていました。空しい思いを埋めるために読書や映画を求めましたがその時だけで、現実に戻るとまたもとの空しさ...
あらしにもまれた小舟(私)のたどりついた港
私が小学校に入学する時、貧しい我が家にはランドセルなど買うお金もなく、父が何処からか貰ってきた古ぼけた、よれよれのランドセルを背負わされ、私はピッカピカのランドセルに混じって学校の門をくぐりました。 生活保護を受けていた我が家は、当時有料だった教科書をただで貰い、給食費も免...
真(まこと)の神にしたがう人生の選択 ~ 母の信仰決心
「郷に入らば、郷に従え」、これが母の生き方でした。また、『個人の信仰はよしとしても、まわりの人達と上手に付き合っていくには、全体の意見に従いなさい。』と私にも教えました。地元の古い家系に育った母には、それが当たり前のことだったのです。母の日記を見ると、私達家族が同居するよう...
孤独でいらっしゃいますか?
私は八年前、日本人である夫と結婚し、韓国から日本に参りました。最初の一年間は、日本語の学びのために日本語学校に通ったり、日本の社会、また文化などを知るためにあちこちを旅行しました。二年目に長男が生まれ、その時からは普通の奥さんとして、子育てや家事に専念するようになりました。...
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