神様を知らなかった私が、どのようにしてクリスチャンとして歩むようになったのかをお話したいと思います。
子供の頃の私は家族や周りの友人と何となく上手に付き合い、大きな問題も起こさず特に目立つ事もせず、相手に合わせて自分の殻を守るように、本心を他人に見せる事をせずに過ごしてきました。
短大に進学し親元を離れての東京での寮生活が始まると、何をするのも規則と集団行動の窮屈な生活になりました。集団生活なのでたくさんの友人ができるようでしたが、私の中にある本心を明らかに出来ない性格のためか、孤独や虚しさが膨らんでいくようになりました。
そんな時、短大にある「聖書研究会」の集まりで、ある宣教師の方の「自我」についての話を聞く機会があり、とても印象に残りました。そして、クリスチャンの友人ができました。高校時代に日本史の先生が遠藤周作さんや三浦綾子さんの本を紹介して下さり、聖書を読んでみたいと思っていたので、聖書の話や教会に行く事にはあまり抵抗がありませんでした。
その後読んだ三浦綾子さんの「氷点」や牧師の話などから,よくわからないながらもヨハネ3章16節の「永遠のいのち」、ヨハネ4章14節の「わたしが与える水はその人のうちで泉となり、永遠のいのちの水が湧き出ます。」という言葉に確かな魅力を覚え、いのちの水が欲しいと思うようになりました。そして、ヨハネ7章38節に「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から生ける水の川が流れ出るようになる。」とあるように、見ることはできないけれども、心の中から沸き起こるものを求めて信じるようになりました。
それから教会に通うようになり、神様の思いと自分の行ないや思いとのくい違いから自分自身の罪深さを教えられました。ローマ6章14節の「罪はあなたがたを支配することがないからです。なぜなら、あなたがたは律法の下にはなく、恵みの下にあるからです。」という言葉により、罪の重荷から解放され、心が自由になり、神様を見上げて恵みの中で生きる事ができるようになりました。また、神様に祈る事を通して心の内を打ち明け、自分自身をよく知る事ができるようになりました。
聖書の言葉により自分を受け入れる事、生かされている事を知り、平安と喜びの人生へと変えられています。(2002/5/26)福井尚子
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