top of page
検索

魅力ある聖書の言葉

  • takechieone
  • 2019年5月9日
  • 読了時間: 2分

 神様を知らなかった私が、どのようにしてクリスチャンとして歩むようになったのかをお話したいと思います。

 子供の頃の私は家族や周りの友人と何となく上手に付き合い、大きな問題も起こさず特に目立つ事もせず、相手に合わせて自分の殻を守るように、本心を他人に見せる事をせずに過ごしてきました。

 短大に進学し親元を離れての東京での寮生活が始まると、何をするのも規則と集団行動の窮屈な生活になりました。集団生活なのでたくさんの友人ができるようでしたが、私の中にある本心を明らかに出来ない性格のためか、孤独や虚しさが膨らんでいくようになりました。

 そんな時、短大にある「聖書研究会」の集まりで、ある宣教師の方の「自我」についての話を聞く機会があり、とても印象に残りました。そして、クリスチャンの友人ができました。高校時代に日本史の先生が遠藤周作さんや三浦綾子さんの本を紹介して下さり、聖書を読んでみたいと思っていたので、聖書の話や教会に行く事にはあまり抵抗がありませんでした。

 その後読んだ三浦綾子さんの「氷点」や牧師の話などから,よくわからないながらもヨハネ3章16節の「永遠のいのち」、ヨハネ4章14節の「わたしが与える水はその人のうちで泉となり、永遠のいのちの水が湧き出ます。」という言葉に確かな魅力を覚え、いのちの水が欲しいと思うようになりました。そして、ヨハネ7章38節に「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から生ける水の川が流れ出るようになる。」とあるように、見ることはできないけれども、心の中から沸き起こるものを求めて信じるようになりました。

 それから教会に通うようになり、神様の思いと自分の行ないや思いとのくい違いから自分自身の罪深さを教えられました。ローマ6章14節の「罪はあなたがたを支配することがないからです。なぜなら、あなたがたは律法の下にはなく、恵みの下にあるからです。」という言葉により、罪の重荷から解放され、心が自由になり、神様を見上げて恵みの中で生きる事ができるようになりました。また、神様に祈る事を通して心の内を打ち明け、自分自身をよく知る事ができるようになりました。

 聖書の言葉により自分を受け入れる事、生かされている事を知り、平安と喜びの人生へと変えられています。(2002/5/26)福井尚子


#孤独 #聖書 #平安 #喜び

最新記事

すべて表示
死に対する恐怖からの解放

小学生の頃から、私は死に対する異常なほどの恐怖に怯えていました。落雷に当たって死んだらどうしようとか、墜落した飛行機が我が家に当たったらどうしようとか、チェルノブイリ原発事故の影響で白血病になったらどうしようとか、ありとあらゆる可能性に怯え不安な毎日でした。...

 
 
 
イエス・キリストの赦し

私が教会に出入りするきっかけとなったのは、主人との出会いです。脇町教会員(徳島)の一青年が主人と知り合い友人となり、トラクトを主人に手紙で送って来て、それを今度は主人が「とても大切なことが書いてあるので丁寧に読んでほしい」と私に渡しました。...

 
 
 
神様がくださった平安と将来と希望

私が生まれた時、家の斜め前の教会の牧師夫人に色々助けて頂いたことをきっかけに、母は私と姉を、教会の日曜学校に小さい頃から連れて行くようになりました。 10歳の時に洗礼を受けましたが、思春期を迎える頃には私は自分のことが大嫌いで、劣等感の塊の様で、皆の前では明るいけど、一人に...

 
 
 

コメント


© 2019 by 平塚福音キリスト教会 Proudly created with Wix.com

  • Facebook
  • YouTube
bottom of page