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Meet our pastors

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主任牧師

山口耕司

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顧問牧師

岩井清

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伝道師

小林享子

2022年聖句

心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。

あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。

そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。

箴言3章5、6節

牧師紹介

主任牧師

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名前

山口耕司

生年月日

1965/9/3

好きな食べ物

寿司、焼き肉、ケーキ

趣味

ウォーキング、動物、音楽

好きな賛美

新聖歌397「神の御子にますイエス」

福音賛美歌348「主のいつくしみ」

福音賛美歌395「主は勝ちたもう」

福音賛美歌17「救いの御門」

福音賛美歌71「わが贖い」

福音賛美歌229「愛の聖旨」

Still

You Raise Me Up

Build My Life

など

自己紹介文

救い主イエス様を信じる信仰に導かれるまでの私は、

天地の創造主なる神様を無視して自分中心の生き方をしていました。

時には自分の人生について考えると自分は何のために生きているのかわからず、

心にポッカリ穴が開いたようにどうしようもない、むなしさで心が重くなりました。

私は大学一年生の時,寮のルームメイトに誘われて教会に行きました。

それから1カ月に1回とか不定期に、教会の礼拝に行くというよりは、

牧師の人柄に引かれて行っていました。

 

そしてある日,その牧師に自分の疑問を素直に打ち明けました。

「先生、なぜ神様が全知全能だったらこのように罪深い人間を造ったんですか。」

というふうに質問しました。

すると、普段は優しい牧師が、

その時は深刻な厳しい表情になって、

「山口君,その考えは良くないよ。」

と言われ、

聖書にある「ローマ人への手紙 9章20節~23節」

を開いて私の質問に答えて下さいました。

 そのみ言葉に自分の名前を当てはめると、

「しかし、人(耕司 ←私の名前です)よ、神に言い逆らうあなたはいったい何ですか。

形造られた者が、形造った者に対して、

『あなたはなぜ、私をこのようなものにしたのですか。』

となり、

その後には、

「ですが、もし神が、怒りを示してご自分の力を知らせようと望んでおられるのに、

その滅ぼされるべき怒りの器を寛容をもって忍耐してくださったとしたら、

どうでしょうか。

それも、

神が栄光のためにあらかじめ用意しておられたあわれみの器に対して、

その豊かな栄光を知らせてくださるためになのです。」

とあります。

 このみ言葉を聞いて、

本当に神様が私のような罪深い者を正しい怒りをもって滅ぼされても仕方のない存在なのに、

神様は、

豊かな寛容をもって私の事を忍耐し、

イエス様が私の罪の罰の身代わりとして十字架の上で

死んで下さったほどに愛してくれているということがわかり、

イエス様を救い主と信じる救いの確信が与えられました。

そして、私は翌年、

自分の誕生日に洗礼を受けました。

 「あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。」(ペテロ第1の手紙 2章25節)

 これからも色々あると思いますが、

すべて事を働いて益として下さるイエス様と共に歩み続けたいです。

主任牧師

顧問牧師

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名前

岩井 清

誕生日

1933年12月11日

好きな食べ物

サバの味噌煮ですから、経済的

趣味

読書、音楽鑑賞、映画鑑賞ですから平凡

好きな賛美

讃美歌351「友という友は」

聖歌557「慕いまつる主なるイエスよ」

新聖歌204「わが友にます」など

自己紹介

私はすでに、

後期ですか、

末期ですか、

最終期ですか、

高齢者になりましたが、

時には青年のような夢を心に描くこともあります。

  「あなたは、偽善者で、まるで白く塗った墓のようだ」

(マタイ23:27,28)と、

イエスさまに真相を言い当てられて目覚め、

御許に引き寄せられました。

 

「あなたは神を愛してこなかったけれど、わたしはあなたを愛している」

という神のみ言葉に、

ひたすらすがってクリスチャンになりました(第一ヨハネ4:10)。

大学を卒業するころ、

「わたしに身をささげなさい」

(ローマ12:1)

という促しに従い、

献身者の道に入らせていただきました。

  挫折は何度も経験しましたが、

神さまのあわれみをその都度いただいて、

この平塚福音キリスト教会に導かれてから、五十七年になります。

 

その前、

神学生の時、オーストラリヤに、研修と学びのため、

八か月ほど行く機会を与えられました。

六〇歳を過ぎてから、燃えつき症候群らしき状態に陥り、

一年間休みをいただいて、カナダの神学校に行かせていただいたことは幸せでした。

  八〇歳を過ぎてから、長野県飯田の教会に行き、

一年間協力牧師として務めたり、

パリのプロテスタント教会で、三か月の牧会をするというような

珍しい経験も与えられ感謝です。

  この教会を教室とする活水聖書学院というミニ神学校で三十五年にわたり教師となり、

この三月で学院長職を辞しましたが、今も教師は続けさせていただいております。

  七年前に天に召されていきました愛妻博子との間に、

少子化ブームが盛んであったころ、五人の子どもが与えられ、

今は十二人の孫のおじいちゃんをやっています。

そのうち三人はドイツに住んでいます。

みんなに慰められています。

  八十五歳にして、献身を新たにし、

無牧の教会の多くなってきたこの時代で、何とかそれらの教会にも仕えて、

使命を全うしたく望んでおります。

皆さまのご愛祷よろしくお願いいたします。

顧問牧師

伝道師

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名前

小林享子


生年月日

6月12日


好きな食べ物

くだもの、トマト、とうもろこし、チョコレート


趣味

犬や猫を抱っこすること

テレビを観ること


好きな賛美

新聖歌385「主よ終りまで」

新聖歌474「主がわたしの手を」

​自己紹介

こんにちは。
 私は平塚福音キリスト教会の伝道師です。

1992年から、奉仕するようになりました。
 初めて平塚の教会に来たのは、1987年だったと思います。

その時、友だちが活水聖書学院の神学生で、

市民センターで、羽鳥先生をお招きして集会があるので来るように言われて行きました。

洗礼を受けてクリスチャンになって、3年たった頃でした。

その集会の終わりに岩井先生が、来られていた教会の牧師ご夫妻を一組ずつ紹介されました。

たくさんの先生方が来られていました。

その頃私は本当に信仰を持って生きていっていいのか、少し迷っていました。

もし違うなら、私の人生は虚しくなる。

でも、その時、たくさんの先生方を見て、

みんな人生を神様に捧げておられる、もし神様が本当に居られなかったら、

その人生は虚しいことになる。

これだけたくさんの立派な方々が人生を捧げられているのだから、本当に違いない。

信じて生きていこう、と、その時、信仰の確信を持ちました。

翌年、活水聖書学院に入学して、卒業後、

一年間、渋谷教会で事務員をやらせていただいた後、

平塚福音キリスト教会に招聘されて伝道師になりました。

神学生になってすぐに、友だちに何をやりたいのか聞かれた時、

一瞬考えて、

すぐに児童伝道と答えました。

いろいろなことがありましたが、ここまで守られて、神様に感謝します。

伝道師
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