「郷に入らば、郷に従え」、これが母の生き方でした。また、『個人の信仰はよしとしても、まわりの人達と上手に付き合っていくには、全体の意見に従いなさい。』と私にも教えました。地元の古い家系に育った母には、それが当たり前のことだったのです。母の日記を見ると、私達家族が同居するようになってからの母の主な心配は、「息子の生活が地域ではなく、教会に根ざしていること」、「孫の成長のこと」、そして「母自身の老後の生活」だったようです。
そんな母の生活が一変したのは、誕生月の定期検診の結果、「肺ガンの可能性がある」と告げられた日からでした。度重なる精密検査の結果、担当医は私に、『病原は大腸ガンであり、既に肺やリンパに転移しています。手術が成功したとしても、半年から一年の命でしょう。』と告げました。母にこの事実を告げないまま、「狭まっている腸を切りつめる」と説明して臨んだ手術は、無事に成功しました。そして担当医の進言もあり、「余命を少しでも長く、自宅で送らせてあげたい」と、無理な延命治療を施さずに退院となりました。
秋も深まり、寒くなるにしたがって、肺の酸素不足で咳込むようになり、母は日記に、「肺ガンではないだろうか?」と不安を書き残しています。また、だんだん便が思うように出なくなり、とても苦しみました。母は病状が悪化していく中で、他の人に頼らなければならなくなった自分のことを情けなく思いつつも、親戚や周りの人達が皆やさしく接してくださり、「人は自分の力だけでは生きられない」ということを実感したようです。
年が明けて、いよいよ母の病状は重くなり、私は決心をして、母にすべてのことを告げました。母は時々うなずきながら、静かに私の話を聞いてくれました。そして、この告知の日を境に、母の考え方は急転していきました。日記には、「あと一ヶ月の命、楽しく生きよう。」と残していますが、不安も大きかったらしく、自分の人生を振り返り、自分自身を見つめ直したようです。
翌日、岩井牧師が訪問してくださり、イエス様の愛の深さを語り、母の手を取って祈ってくださいました。そして、この日が母の信仰決心の日となりました。日記には、「今日よりご指導頂くことに定めた。」と残されています。
「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(聖書)
母と私はともに聖書や教会の話をするようになり、私も素直にイエス様のことを語れるようになりました。
母がイエス様を信じたことを私が知ったのは十日余り後でした。私が母に『かあさんはイエス様を信じているの?』と尋ねると、『信じているよ。』との返事。さらに、『洗礼を受けるよ。』と母は告げました。私は驚くとともに、神に感謝しました。母はその日、受洗の恵みをいただいたのです。
母はこの世の人生最期の瞬間に、真の神にしたがうことを決心し、天国への備えを一気に整えたのです。四日後、母は静かに天に召されました。
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(聖書)<1997年8月24日> 福井 淳
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