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父の死

 私は四国の片田舎で生まれ、封建的で日本伝来の宗教の中で育ちました。それはキリスト教とは何の関係もない環境でした。でも今思うとふしぎなことに、父は旧家の長男でしたが、弟の一家に望まれるままに家督を譲って田舎を去り、一家で町へ引越しました。そこに教会があったのでした。

 父は「宗教に頼るなどは男のすることではない」という考えでしたが、女や子どもは弱いのだから教会へ行くことを認めてくれました。

 とくに母が、旧い習慣の中での生活で心が傷ついていましたが、教会へ行くようになってだんだん明るくなってきたので、父もいつしか自分でも聖書のことばに耳を傾けるようになっていきました。そして働き盛りの時に病に倒れ、強いはずの大の男の弱さを知ったのでしょうか、私と私の妹が高校生でしたが、洗礼を受ける話をしていましたら、父も申し出て三人でいっしょに受洗しました。

 今まで家長中心で女や子どもはいつも陰に押いやられていた暗い封建的な生活から、子どもの誕生日などをお祝いして家庭で近所の親しい家族といっしょに食事をして、ゲームや賛美歌の合唱をして、みんなで楽しむ明るい生活に変わっていきました。

 晩年に父は会社の労使問題で大変な苦労があったらしく、急に頭髪がまっ白になり、眉毛が抜けてしまって私たちは驚きました。しかし祈ることをすでに知っていた父は、そのためにも祈って通り抜けることができたのだと思います。

 喜寿のお祝いをした直後に体調を悪くし、検査の結果ガンだったのですが、父は自分で結果を聞きに医者を訪ねた時、「ガンですか?」と単刀直入に聞いたそうです。とっさのことでクリスチャンのお医者さんは嘘もつけずことばにつまった時、父は「わかりました。」と答えたとあとで聞きました。手術を受けて苦しかったと思いますが、平安な最後の病床でした。夜中私が付添って、眠っている父の足許で聖書を読んでいたら目をさまして、「聖書を読んでいるのか。声を出して読んでくれ。」といい、じっと聞いていました。クリスマスの日、息を引きとりました。

 お葬式のあと、父の一人の友人が語ってくれたのですが、まだ元気な頃、死の解決についてみんなで話し合った時、父は「私はイエス・キリストを信じて死の解決が与えられました。しかし死に直面した時にその信仰が揺らぐかどうかはその時になってみないとわからない。」と話したそうです。父の信仰は死に直面しても揺らぐことなく、平安そのものでした。

 『神は実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』(聖書)(1998/4/26)岩井博子


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