私は八年前、日本人である夫と結婚し、韓国から日本に参りました。最初の一年間は、日本語の学びのために日本語学校に通ったり、日本の社会、また文化などを知るためにあちこちを旅行しました。二年目に長男が生まれ、その時からは普通の奥さんとして、子育てや家事に専念するようになりました。
親もとから離れて、他国で一人で子育てをすることは大変なことでした。一番大変だったのは、子どもを公園に遊びに連れて行こうと思っても、まわりのお母さんたちとの交わりの中へ入って行く自信がなくて、入って行けないことでした。「あの人は外国人だわ。」という人目が気になって、子どもが二歳になるまで近所の公園に連れて行くことが出来ませんでした。
また、昔からの日韓関係の事で、いつも自分自身を責める心がありました。日本人と結婚したことを後悔し、その間で生まれた子どもまで自分の重荷と思いました。
そのような状態であった私は、ちょっとしたことでも、かっと頭にきて、すぐに夫に文句を言ったり、けんかごしで話をする毎日でした。「私は夫のために日本に来たのだから、夫に愛されないと不公平だ」、といつも自分に言い聞かせました。母国にいる時には何の不自由もなかったのに、日本に来てからは心を痛めるつらい思いばかりで、とても悲しかったのです。
私は幼い頃から教会に通ったり、約二十年前、洗礼を受けたクリスチャンであるにもかかわらず、心の中には平安がない、喜びがない信仰生活を歩んで来ました。しかし、こんな私にもふたたび、まことの神様と出会う機会が与えられ、神様に愛されてどんな状況においても平安があり、喜びがあり、人々を愛する恵みをいただきました。それは、今から約三年前のことでした。
ある日、聖書を手にして、いつものように読み始めました。今まで何回も読んだ箇所なのに、その日にかぎり私はすごい感動を受けました。『すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたし(イエス・キリスト)のところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。』(聖書)
そうだ! これだった! 私は叫びました。胸が熱くなり、涙がぽろぽろ落ちました。主イエス・キリストが私の重荷を背負ってくださるとおっしゃっているのに、今まで私は自分の力でなんとかしようと頑張っていました。自己中心の信仰生活を送っていました。本当に恥ずかしく思いました。それから私は、毎日神様にお祈りする前、神様のお声を聞くために聖書を読むようになりました。すると、ますます神様との親密な関係を保つことが出来るようになりました。
『けれども私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。』(聖書) 私の国籍は、韓国でも、日本でもありません。これからは天国に国籍のある民として、イエス様とともにこの信仰生活を歩んで行きたいと願います。 今は日本が好きで、日本人が好きで、夫が好きで、一日一日が楽しいです。あんなに孤独だった私なのに、今ではしゃべりすぎて困っています。(1997年6月22日) 犬伏順蘭
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