たくさんの御恵みのうちに生かされている事を感謝します。本当に物事に疎い、覚えることにも遅い、まったく弱い信仰の持ち主です。信仰生活50年と言う私ですが、最初のうちは聖書を読んでも、まったく分かりませんでした。
教会へ出席するのは、賛美歌を聞きたい、いっしょに歌いたい、ただ、それだけでした。説教を聞いても、分かりませんでした。でも、教会へ来ると、大変楽しいのです。何にも分からない私に挨拶して下さる。何かと話しかけて下さる。非常に雰囲気が楽しいので、何とはなしに教会に出席していました。
私が「さよなら」と言って帰ろうとすると、大橋先生が「みんなで歌いましょう。」と言って、帰ろうとする私の手を取って、また、元の席へ座らせて、10人、20人くらいの人で、何曲か賛美するのです。一時間くらいは、まもなく過ぎて,家へ帰るのが、遅くなるのでした。
盲学校卒業後、就職して、知らない土地で道に迷うことが度々ありました。そんな時、じっとしゃがみ、賛美歌を歌いました。賛美歌を歌っていると、迷って困りあわてた、また不安な気持ちが落ち着くのでした。「神さま。私はどこへ帰るか道が分かりません。助けて下さい。」と祈りながら賛美歌を歌うのです。2,3曲歌っていると、「そんなところで何しているの。」と言う人が、足を止めて声をかけて下さいました。「私は帰る道が分からないから、誰かを待っていたの。」と言うと、「どこかね。」と言って、住所を書いたものを見せて、送っていただいたことが度々でした。
また、私には忘れようとしても、忘れることのできない、恐ろしい出来事がありました。それは、昭和49年の冬、朝早く、46坪の借家を火事で灰にしてしまいそうになったことです。「何か燃えている、どこが火事!」と言って、バケツに水を入れ、家の中をただ右往左往していました。
「もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。」というみことばが、はっきり頭に入りました。
「神さま、助けて下さい。なぜ火事になるのですか。どうして燃えているのですか。こんな事があっては大変です。止めて下さい。」と祈りながら、人声のする方へ行きました。
「おばさん、大丈夫だ。もう火は消えたよ。中は大丈夫だ。」と言って、肩をさすられ、わずかなところで事故にならないで守られた事を覚えています。
弱い私がここまで生かされていることは、大きな神さまのお守りなくしてありません。御恵みを感謝します。(2000/4/23)竹内ユキ
#守り #賛美歌
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