イエス・キリストの赦し私が教会に出入りするきっかけとなったのは、主人との出会いです。脇町教会員(徳島)の一青年が主人と知り合い友人となり、トラクトを主人に手紙で送って来て、それを今度は主人が「とても大切なことが書いてあるので丁寧に読んでほしい」と私に渡しました。...
魅力ある聖書の言葉神様を知らなかった私が、どのようにしてクリスチャンとして歩むようになったのかをお話したいと思います。 子供の頃の私は家族や周りの友人と何となく上手に付き合い、大きな問題も起こさず特に目立つ事もせず、相手に合わせて自分の殻を守るように、本心を他人に見せる事をせずに過ごしてきま...
イエス様の愛に気づいて私は幼い頃から神様の存在は信じていましたが、その愛には気づいていませんでした。そしてすべてにおいて自分の栄光を求め、人からの評価を得る為にあらゆることに対して努力し、人に褒められることを最大の喜びとしていました。私が1番になれるのは自分の努力の成果で、他の人が1番になれない...
ポケットの中のパン「ふるさとは遠きにありて想うもの」とある詩人は書いています。小さい頃の私にとって北海道の小樽は、正に人生と共に灰色の街でした。父の放蕩により家族は、明日の米も無いという辛い日々を何日過ごした事か分かりません。その心労の為、母は毎日寝込みがちでした。学校から帰って来ると、いつ...
空しい思いは喜びに私は若かった二十代の頃、「人間は何のために生きているのか」、「来る日も来る日も同じことの繰り返しで、人生の目的は何処にあるのか」、と解らないで悩みつつ、毎日を仕方なしに生きていました。空しい思いを埋めるために読書や映画を求めましたがその時だけで、現実に戻るとまたもとの空しさ...