<質問> 48才主婦、平塚在住
キリスト教では、“悔い改めれば、どんな罪も赦される”と言いますが、そんなに簡単なものではないんじゃないですか。
<回答> 岩井 清牧師
たしかに、罪の赦しは、あなたが考えているほど簡単なものではありません。というのは、その罪が赦されるためには、私たちの想像を絶する犠牲(ぎせい)が払われているからです。
罪もしみもとがもない神の子イエス・キリストが、自分をはりつけにした人々のために「父よ彼らをお赦しください。彼らは何をしているか自分でわからないのです」と祈りながら、朝の九時から午後三時まで、六時間恐ろしい十字架の苦しみを耐えぬいて、血を流し尽くして死んでくださったのです。
私たちの罪の赦しは、この犠牲にもとづいているのです。
かつて、神の民イスラエルでは、罪を犯した者が、傷もしみもない小羊など家畜を引いてきて、その頭に自分の手を置き、その罪を神のみ前に告白したのち、自分の身代わりとして、その小羊を殺し、いけにえとしてささげました。
神の子キリストはそのような小羊となってくださったのです。「ご承知のように、あなたがたが先祖から伝わったむなしい生き方から贖いだされたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです」と聖書に書かれているとおりです。
払いきれない借財も、だれか親切な身内のひとが現れて、私たちの代わりにそれを立て替えてくれるなら、私たちは「簡単に」それを免除されるかもしれませんが、そのためには、そのかたの大きな犠牲があったのです。
私たちには、神さまに自分の罪を告白しつつ悔い改めるとともに、このような犠牲を払ってくださった神の御子イエス・キリストを信じることが勧められているのです。
「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」(イエス・キリスト)
#罪 #赦し #十字架 #悔い改め
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